2013年2月25日月曜日


柳瀬先生のブログ記事から学ぶ論文構想・作成の留意点
卒業論文の反省を踏まえながら


Abstract
筆者は修士論文の構想、執筆を今後2年間で行っていく。その際の留意点としてはどういったものがあるのだろうか。「論文」というものの意味や性質を正確に理解していないまま書き終えてしまった卒論の反省を踏まえて、今後論文作成の際に持っておくべき最低限の知識を書いた。今回、柳瀬陽介先生のブログ記事を読んで、①研究テーマ設定では好奇心を探ってそれを追求していくこと、②論文作成ではとにかく読者を意識すること、③そもそも論文を書く意味として作成者の知的成長が図られていること、などが分かった。研究者として、以上の点を常に留意して合理的に論文構想・執筆を行っていくべきである。

1テーマ設定
 「表の方法」というのは、先人たちの学術遺産を最大限利用して、最短時間でそのテーマに関して最先端の知識を得るものである。研究方法も整備されているので、類似したやり方で、研究対象などを少し変えれば研究として成り立つ。しかし、これまでの研究論文が自分の真の興味・関心と一致していないことは往々にして起こりうるので注意が必要である。自分の心身の深いところで予感している面白さを捉えきった論文は、あまりないのだ。なぜなら、英語教育研究・応用言語学の歴史が大変短く、かつ対象・関連領域は果てしなく広いからである。過去の研究に「乗っかる」ようにして研究とする際にはこのことに注意する必要がある。
「乗っかる」だけでなく、自分の直感や情動、感情に忠実になるやり方もある。それが「裏のやり方」である。学会の流行から遠ざかり、これまでの人生で疑問に思ったことに耳を澄まし、関連するあらゆる本を読んで考えを具体的に言語化、体系化していき、その分野に無関心な査読者にも読んでもらえるような説得力を持たせなければならない。このように労多くして世俗的見返りがほとんど無いのがこのやり方で、自己欺瞞に陥らずに自分と世界に対する正直を貫き通すことが求められる。

.2好奇心からのスタート
 私が卒業論文でとったやり方は、ほぼ完全に「表の方法」であった。卒論では『英語教科書の談話分析』(根岸, 1990)に乗っかって研究を進めたが、そこではPomerantz (1984) の会話の談話分析方法を日本の教科書分析に応用しやすいように工夫されており、それを用いてスムーズに教科書分析が進んだ。
 「英語教科書の会話の談話分析をしてみたい」と思って研究を始めたはずなのだが、どうも卒論を書き終えてもうまく達成感が得られなかった。今思えば、それは自分が真に持つ興味からスタートしていなかったからだろう。スタートから完全に「表の方法」で卒論を終わらせてしまったのである。もちろん「談話分析」という分野に興味を持ったからこのようなテーマにしたわけだが、それは自分の直感や感情に従ったのでなく、「論文を書きやすそう」「それっぽく完成しそう」という研究者の端くれとしても恥ずかしい考えがあったことは、正直否めない。
 この反省を踏まえて、研究のテーマ設定をする際に重要視したい点は、好奇心からスタートする、ということ。上述の「裏のやり方」が私の研究者としての理想であるが、完全にそのやり方で研究するには知識も覚悟もまだ全然足りない。だから、スタートくらい研究の流行や既製のテーマから離れて、自分の人生経験にもとづいて直感を第一に大切にしながらテーマ設定を行いたい。

 好奇心からスタートするには、他を排除した自分の興味・関心に耳を傾けなければならない。これは容易なことではない。例えば「談話分析がしたい」はそれではない。なぜなら、上述したがそれは「論文が書きやすそう」「論文っぽい」と考えており、「卒業する」という外発的動機や「先生や友人、読者に認められたい」という交換物を求めた、資本主義の考えから来ているものだからである(こう言いつつ、資本論については未知なので詳しく勉強し直します)。それらの要因を完全に排除して興味の直感を探ることは容易でなく、おそらく頭で考えるだけでは達成し得ない。そこで手で考えることが必要になる。
 人間が頭の中で考えるには限界があり、特に私のような凡人(以下)ではたちまち要領オーバーになる。だから自問や反省を繰り返しながら紙面上、いや整理などを考えるとパワーポイント上で思考を絞り出していく。あるいは良い友人に聞いてもらうのも有効な手段であり、「つまりどういうこと?」「それはなぜ?」「それは○○も意味すると言っていいの?」という風な質問をパワーポイント上で答えたり整理したりする。
このように、手で、あるいは口で考えるようにして自身の興味・関心を整理し、徐々に言語化、体系化していくことが論文執筆の第一段階であろう。

2論文作成段階~Readers Friendly
 卒論を書く前は、「論文ってのは、いかに難しい言葉を使って小難しく書くかが勝負なんでしょ」ということを、戸田山和久の『論文の教室』に出てくる“作文ヘタ夫君”のように、頭の隅でほんとうに認識していた。「難しく書く練習」や「頭良さそうな文章」と表現してもいいかもしれない(今思えば本当にヒドい)。しかし、もちろんそういった考えは間違っている。むしろ論文というものに対して逆の認識、失礼な認識である。ブログ記事を読むに連れそのことを再確認、そして認識を深めることができた。
 論文とは、本当は簡単なはずのことが小難しく書かれた面白くない書き物ではない。読者にわかりやすく面白く、そのトピックに関しての知的納得を与えるエンターテインメントである。高度で複雑な内容を<読者に親切に>書くのである。よって、知識や興味のない人も内容をきちんと概略することができ、専門家たちにはとても深い内容が短時間で伝わる。
 そのため論文には細かなルールのようなものが多くある。例えば、パラグラフライティングの原則の徹底、アウトラインの明確化、hookbridgeの使用、参考文献の書き方の作法など。これらは「うるさい作法」などではなく、<読者に親切に>なるためのルールである。だからこの作法を守れば、自然と<読者に親切に>なれるのである。
 ここで<読者に親切に>ということを、もう少し具体的な言葉で以下のようにまとめられたものを書いておく。
つまり、あなたが自分の知的貢献でその人の役に立つことができると想定している人(「相手」)がまったく知らなかった・十分に理解していなかった知見を示し(「発見」)、中心概念はもとより、派生概念も明確に定義することで、その内容を整理して精確に伝え(「説明」)、主張を裏付ける、妥当性のある証拠や理由を提示(「立証」)し、読者の読み続けようという気持ちを維持し高めるための、適切な工夫をしながら、その問題関心に忠実にまっすぐに最短距離で論証を行うこと(「相手にとって最も親切な形で提示」)が大切であると述べている。
このように、<読者に親切に>とは、知的納得のために親切ということ。知的納得は読者が必要にして十分な情報を、整理された形で効率的に提示された上で、重要な判断は読者自身がくだせるようなかたちで論考が進められることによって得られる。読者はその思考と判断の過程を楽しみたいのである。そういった意味で論文はエンターテインメントなのだ。

3論文を書く意味とは~知的側面から~
そもそも論文は何のためにかくのだろう?卒業するため、修士号をえるためもちろんそれは大切な目的のひとつではあるが、おそらくそういうことではない。今回は自らの知的面をたかめ、思考をマネジメントするための訓練という側面から簡単にまとめる。
 The Craft of Research は、論文を書くことで以下のような利点があると述べている:
・自分が読んでえた知識を記憶にとどめておける。
・読んだことに関するより深い理解につながる。よってより深い議論ができる。
・自分の考えを客観的に吟味できる。
知的側面においては論文を書くことが非常にいい訓練になり、この訓練によって後の職業分野においてもきっと役立つ。また、北欧の大学は論文にかんして以下のような認識を持っている:
このように、論文を書くことで知識を記憶し理解するだけでなく、思考する訓練にもなるため、論文に準ずるような文書(例えば企画書など)を読んだり自ら作成したりする機会のある、現代の社会で活躍できる人材に近づけるのである。

4まとめ
 「大学生になった、4年生になった、卒論を書かないと卒業できない、じゃあ書くか」、「院生になった、英語内容学を研究したい、最後は論文にしないといけないらしい、じゃあ書くか」論文を人生で初めて書く者は、大抵の場合このような状況で書き出すのであろう。私も卒論においてそのような考えに支配されながら、研究と執筆を行っていたと思う。
 しかし上述してきた通り、その考えはある意味誤りであるし、知的欲求を求めるべき大学生、大学院生として恥ずかしい考え方であると私は思う。論文を書くことで知識を記憶し、深く理解できる。客観的に自分の考えを観察し、紙面上、あるいは口頭で深い議論ができるようになる。それらのことは思考の訓練にもなり、思考の訓練というのは特に我々大学関係者最も求めるところであるはずだ。
 その際に<読者に親切に>書くことが思考の訓練の良い方法である。高度な内容を読者にわかりやすく面白く、そのトピックに関しての知的納得を与えるエンターテインメントとしての論文を完成させる。それが執筆において最も重要なことなのだ。
 執筆の前段階としてテーマ設定をしなければならないが、そこで自分が真にもつ興味・関心事で論文テーマを決めなければ、読者の前に何より自分が楽しめない。「表の方法」でなく「裏のやり方」で最初は踏ん張ってみるべきだと思う。
 以上のような留意事項は、論文を書く者として持っておくべき最低限かつ重要なものである。論文執筆の過程では常に以上のことを確認したい。そして、研究者として駆け出しの今、基本的な留意点を本やブログを通してさらに学び、しっかりとした土台をもった上で研究と執筆をしていきたい。


2 件のコメント:

  1.  裏の手法である、「興味・関心のある範囲の研究」を行う。最も簡単そうで、非常に難しいことだと思います。自分たちが知っている領域というのは非常に限られたものであり、他の領域を知らないことは多々ありますし、たった限られた領域でさえも、きちんとは知らないことが多いのではないか、と、しばしば考えます。学部生の卒業論文がどうしても陳腐なもので終わってしまうのは、こういうことが根幹にあるのではないでしょうか。そういう意味では、非常に危険な「裏の方法」だと思います。究極を言えば、表裏一体の研究ができることが文句のない手法ですよね。
     何にせよ、時間が許されるのであれば、最終目標の論文としてのアウトプットに固執せずこと以上に、大量の高度なインプット、整理のために少しずつアウトプットを行い頭の中で噛み砕き、高度な内容のネットワークづくりを行うことが大切なのかな、と考えたりします。
     大学院という限られた時間の中でできることは、「自ら切り開いていく研究」より先に、まずは先人たちが積み上げてきた研究を知り、関連分野の架け橋を行い、未開発地を発掘することなのかな、などと... 研究にはハイスペックな頭脳と莫大な時間がかかることですから、自分の頭に限界を覚えているキチカワはそちら側ばかり考えてしまう毎日です。(結局、怠惰な日々を送り、質の低いインプットを積み重ねた結果、論文の提出に追われてしまいそうです。いやいや、これではいけない。)
     論文の完成を視野に入れつつ、時にはその練習を行いつつ、怒涛のインプットをこなし、知的内容のネットワークを構築していければ、華の院生ライフ(私のパソコンで一番初めに出た変換が「端の院生ライフ」で焦りましたが、)を送れればいいですね。

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  2.   コメントありがとうございます。同じ立場の友人からの意見は常々参考になります。
      院試勉強や卒業論文構想の時期から、英語教育学とその関連分野における先人たちの膨大な研究量に常に驚かされてきました。4月から“入院”する私たちですが、2年間という非常に限られた時間の中で、いかにしてその歴史の上に立ち、研究を積み重ねていけばいいのでしょうか。現在修士論文のテーマ設定に追われていますが、非常に困難な課題となっています。
      Kikkawaさんがおっしゃる通り、比較的時間に余裕のある今、積み重ねられた研究に関する大量で高度なインプットを行うことが重要だと思います。まずは概観することだと思うのですが、『英語教育学とその関連領域』といったようなテーマの書籍が多くあるはずなので、もしいいものがあれば紹介したいと思います(見つかれば紹介してください)。まずは英語教育学分野を広く知り、広い視野をもった上で研究テーマを徐々に絞っていきたいですね(卒業論文では狭い視野で、かつ“表の方法”で研究を終らせてしまったため、達成感も薄く、反省が多いです...)。
      限られた時間の中で最善を尽くすべく、2年間を見据えたタスク管理を心がけ、お互い“端”の院生ライフにならないように(笑)、男ばかりでも“華”の院生ライフを築いていきましょう。

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