2013年4月21日日曜日

A Warrior in Elemental School Education
―菊池省三先生のセミナー・懇親会に参加して―


今日は「ほめことばのシャワー」で有名な菊池省三先生にお話しを伺いました。

ご存知の方は多いかと思いますが、菊池先生の簡単な紹介をしておきます。先生は北九州市の小学校教員で、荒れているクラスを「ほめことばのシャワー」代表される独自の方法で、見事に立て直すことで有名です。何度もテレビ・新聞などのマスメディアに取り上げられ、今最も注目されている教育者の一人です。

そんな菊池先生のセミナー・懇親会に参加させていただいて多くを学び、そこから自分が考えたことを含めて、キーワード毎に今回は書きたいと思います。



☆「ほめことばのシャワー」
 
 先生は毎日、朝の会で「ミニライフ・ヒストリー」、帰りの会で「ほめことばのシャワー」という活動を行っています。
 
 まず前者の「ミニライフ・ヒストリー」とは、一人が前に立ち、その子に向かってクラスの全員がいろいろな質問を展開していくという活動です。例えば、「最近、自分を笑顔にしてくれたことは?」「自分が人を笑顔にするのと、自分が笑顔にされるのとどっちが好きですか?」といった質問をしてきます。何のためにそのような活動をするのでしょうか。それは、私は「他人を思いやることのできる子どもを育てること」であると考えます。

(実は、上記の例のような質問事項は、菊池先生が2年間かけて、徹底的に子どもの人間性を高めた段階で出る質問なんです。上記のような質問ができる子は、本当に素敵です。そういう子に変えることができる菊池先生のすごさが、上記の子どもの質問から垣間見えます。肝心な、「菊池先生はどういう指導をしてるの?」というのはご著書『「ことばのシャワー」の奇跡』などをご覧下さい。)





そして後者の、帰りの会の「ほめことばのシャワー」は、一人の子に対してクラス全員が、その子が一日でしたいいところ・成長したところをほめるという活動。一回に約30人の友達からほめことばを浴び、それが積み重なると1年間で4500のほめことばのシャワーを浴びるらしいです。それで自分に自信がつかないわけはないですよね。
 
 以下には、「なぜ先生は子どもにほめことばを浴びせるのか」ということに関して、私の見解を述べます。
 
 先生は、「価値語」と呼ばれる、こどもたちが変わるために必要な「教訓」をもっています。「教訓」は、人生の先輩として、教師が生徒に伝えるべきものです。例えば、相手を思いやることは大切だよ/いじめは絶対にいけないよというものから、前を向いて座るんだよ/姿勢をよくしなさいといったことまで様々です。しかし、先生がもつようなこどもは、始め髪が明るかったり、自分の立場を保つのに友達を無視したりするような子たちです。そのような「素地」もなっていない子どもたちに、いくら教訓や指導を諭しても、こどもが聞く姿勢を持っていないのですから効果は発揮されません。それどころか先生との溝は深まるばかりです。
  
 そこで、菊池先生はまず信頼関係を築こうとします。それは、子どもを見て、ほめれる点を見つけてほめることです。そしてとにかくほめ、また仲間からも互いにほめさせ、それが「自分はみられている、他人がみてくれている」という安心感に繋がります。あるいは、仲間の良い点を探す訓練になります。そうなったら、いじめなどは起きませんよね(なぜならいじめは、他人の欠点を責め立てるものだからです)。
  
 そうして子どもたちに「素地」が出来た段階で、少しずつ人間を変えていきます。しかしもちろん突然子どもが聖人のようになるはずもなく、そこで先生は「ほめことば」を使います。「価値語」と一緒にほめことばを添えて、子どもに提示するわけです。例えば、「何ページまで音読し終わったら座りなさい」という指示を与えたとして、みんなが音読を終えて座った後でも、一人の子が音読を続けたとします(実はみんな音読が残ると恥ずかしいから、読み終わっていないのに座っている状況)。そこで先生はすかさず、その子を相当ほめます。そこで何が起こっているかというと、「自分に正直にいることはすばらしい」というメッセージが子どもに暗に伝わるわけです。もちろん明示的にことばで諭したりもします。先生はそれに留まらず、「一人が美しい」という表現にその出来事を表し、以後そのクラスで「今の行動(例えば誰も立候補しない委員長に立候補すること)は『一人が美しかった』ですね」とするそうです。クラスでの新語を作っています。(私はここに感動しました。。。)
 要するに、先生が子どもをほめる理由のひとつは、価値語を添付して子どもに伝え、成長させるためだと思いました。

 

☆教師の精神~戦う教師・菊池省三~

 先生の指導理論・方法に関しては、興味のあるかたは先生のご著書を読んでいただければと思います。私は小学校教師希望ではありませんが、そこから学ぶことは山のようにありました。
 ここからは、懇親会を通して菊池先生から学んだ、教師としてのあり方を書かせて頂きます。

 題名にもつけましたが、正直言って菊池省三という方は戦士(Warrior)です(笑)
 なぜか。
 まず、先生のいわゆる「荒れている子どもたち」との戦いは、4月の離任式(あるいは入学式)開始と共に合戦の合図がなります(こんなこと書いたら怒られそうですが。。。)。先生はそこで先手を打ち、ヤンキース軍団の4番バッター(笑)から順にほめれる点を見つけます。そして先制攻撃をその4番バッターから5番バッターへと順に仕掛けていくわけです。そうして先手を打ち、少しずつ信頼関係をつくってから人間を変えていくそうです。
 あるいは、子どもを叱るときは 教師と他の子ども 対 叱られる子ども という構図で叱ります。一見聞こえは悪いですが、教師が1人だと負け戦になり、効果は発揮されないからです。私が尊敬する広大の某Y教授はそれを「兵法だ~これこそ兵法だ~」とおっしゃっていました(笑)そういう風にして、大好きなクラスの子どもたちだからこそ日々戦っているんだと思います。

 そして何より先生のすばらしいのは、「上」と戦う姿勢です。私が懇親会に参加して得たもっとも価値のある学びは、ここです。
 
 菊池先生くらい独自な教育をされていると、制度だとか決まりだとか...そういったものを片手に持つ権力者や評価者(教育委員会とか校長とか)にとっては面白くないそうです。だから彼らはそういった教師を抑えようとしてきます。現場の現状もしらないで、理論だとか風習だとかを押し付けます。それに抗うのは、相当にしんどいもので、だから多くの教師はそういった評価者の目を気にして自分が正しいと思うものから目を背け、見(え)ないようにしています。それは先生に怒られまいと先生ばかりを気にする子どもと何ら変わりません。
 権力者に迎合するのではなく、抗って自分のスタイルを作っていき、それを維持しているのが菊池省三先生です。その姿勢がいずれはとても大切になることを学びました。では彼の原動力は何かというと、それは週に1度の教師の私塾とのこと。金曜の晩から土曜の朝方までぶっ通しで、毎週教育論を語りあうそうです。そこでできた仲間が先生の原動力の一つであるそうです。*1
 
 私も将来、評価者に迎合せず、自分の教育観をしっかりと見つめていける教師になるべく、そういった私塾も考えていきたいと思うようになりました。

 
 以上、最後は菊池先生の「ほめことばのシャワー」とは大きく外れてしまいましたが、セミナー・懇親会の感想でした。一級の達人にお会いすることが本当に自分の身に為ります。




 *1 「原動力」について
    1、上述の毎週の教師の私塾
    2、評価者からの圧力に対する反抗心。「こいつめ、なにくそっ!」という怒りが原動力に。
    3、「憧れに憧れる」
       やはり教師たるもの、より良い授業を求め続けることが原動力となる。いい授業をみたり、人に会ったり、本を読んで研鑽を積み続けることが最も大切である。教育者で「化け物」がいれば会いに行って、時にはそれが大切なつながりとなる。フットワークは軽く。




2013年4月11日木曜日

寺島先生の懇談会に参加して②


前回の続きです。
今回もテーマを1つに絞って書かせていただきます。

「外国のSLAの研究を勉強してばかりいるけど、そろそろ日本人による日本人のための英語習得法を積み重ねていかないと」

 私はそれほどSLAを勉強してきたわけでなく、それを日本人が懸命に勉強することに対して批判するのは100億万年早いですが、この寺島先生のお言葉にはハッとさせられました。

 寺島先生がおっしゃるには、まず日本と外国では英語学習の環境が違う。日本人は英語を学習言語としてEFLの環境で勉強しています。教室から一歩でれば英語をしゃべることなど正直言って皆無であり、寺島先生の立場ですら日本で英語を話す機会などほとんどないそうです。それに対して、アメリカやイギリスなどの国では生活言語としてESLの環境で英語学習を行います。そのような国が発達させてきたSLA研究を環境の違う日本の英語教育に導入して果たして効率的だろうか、と先生はおっしゃっています。
 
 確かに、日本人が日本語で積み重ねてきた日本語教育は、日本人が英語で書いてある外国の理論や研究を取り入れながら(江戸時代から)発展させてきた英語教育よりも、進んでいると言ってもなんら反論はありません。先生いわく、国内には様々な優れた実践があり、それらにもっと注目して「日本人による日本人のための英語教育」を積み重ねていかなければならない、とのことでした。先生も高校教師時代、大西忠治や西郷竹彦など国語教育者の実践を大いに参考にし、読み漁ったそうです。

 私も個人的に、国語教育の授業を受けたときに、国語教育が英語教育よりも進んでいるなあと感じました(勉強不足です、あくまで、そう感じました)。今後は国語教育の膨大な研究を英語教育に応用していく必要性を強く感じています。言語教育というカテゴリでは同じ分野ですしね。

 まずは寺島先生が大西忠治の影響を受けて作られたという「3読法」を勉強してみたいなあと考えてます。

 

2013年4月3日水曜日

寺島隆吉先生を囲んでの懇親会に参加して


 
 3月29日、柳瀬陽介先生が開催した「寺島先生を囲んでの懇親会」に参加してきました。
 
 懇親会の様子としては、参加者は10人程度で、
 図書館のグループ閲覧室(1.5h)→大学内カフェ(1h)→大学近くのイタリアンレストラン(2h)→寺島先生宿泊のホテルロビー(1h)でお話をたっぷりお聞きすることが出来ました(最後のロビーでのお話は、私が先生をお送りした際に、先生のご好意で急遽設けて下さったものです、大変感謝しております)。



まずは
寺島隆吉先生のご紹介
1944年7月12日生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学)卒業。英語教育応用記号論研究会(JAASET、略称「記号研」)代表。高校教諭(英語)として在籍。以下、詳細は寺島研究室参照。

著書:『英語教育原論』(明石書籍)、『英語教育が亡びるとき』(明石書店)、『英語にとって文法とは何か』(あすなろ社)、『英語にとって教師とは何か』(あすなろ社)など多数。

訳書:『チョムスキー21世紀の帝国アメリカを語る』など多数。



 
 では以下、懇親会のまとめと感想です。
 ここでは、先生の言葉を抜粋して、それを説明する形をとり、短めにまとめるよう努力します。

 

「大切なのは、本当に必要になったときに役立つ英語力、つまり “幹” を教えることです。」

 
 これは私が「生徒にどういう英語力を最優先としてつけてあげるのですか?その最優先で教える内容を教えて下さい」という質問に答えていただいたものです。
 
 
 まず私がこの質問をした背景を説明します。
 英語教師は大変な状況におかれながら生徒の英語力を伸ばそうと努力しています。
 まずは40人学級という状況。海外では外国語学習に関して、20人クラスで「多人数クラス」10人クラスで「少人数クラス」と呼ばれています。それを考慮すると、いかに日本人英語教師1人がみる生徒の数が多いか、おわかりになるでしょう。こんな状況では特にスピーキング、ライティング指導などまともに出来るはずがないです。まあ、やらないといけないんですがね。(苦笑)
 次に、言語的距離です。英語と日本語というのはかなり言語的に遠いんですね。ヨーロッパ人が英語を学習するのは、私たち日本人が沖縄弁や東北弁を勉強するようなもの、と似ています。しかし日本語母語話者が英語を学ぶのは、容易なことではありません。文科省のいうような、「ディスカッションを行う」「概要や要点をとらえたりする」、そして「これらはすべて英語で行う」を6年間で達成しろ、というのを真面目に受け止めたらどうなるでしょうか。まあ、やれと言われるんでしょうが。(苦笑)
 そして最後に、受験です。今のような激しい競争社会となった日本において、受験というのは生徒にとって最大の課題となっています。また、教師も「私のクラスは○人○○大学に受かりました」「テストの平均点はこれだけとれました」という風に、やはり競争社会で生きています。そのような状況で教師自らが生徒に「これだけはつけてあげたい」「こういうことを子どもたちに伝えたい」という思いをどう達成するのでしょか。

 上の3点に加え、校務分掌、部活指導、生徒の服装指導。(寺島先生著『英語教育が滅びるとき』参照)そのような状況において、そして泣き言など言っていられん立場を踏まえて、生徒に英語力としてどのようなことを最優先に教えるべきか、寺島先生のお考えを尋ねたのが上記の質問です。


 その質問に対する寺島先生のご解答が「大切なのは、本当に必要になったときに役立つ英語力、つまり “幹” を教えることです。」でした。以下に、英文法指導に限定して、その要点を述べます。

・ 英文法を並べられて覚えることができるのは、大学受験で英語を必須とする生徒、忍耐力がある生徒、英語が大好きな生徒。しかし並列的に文法を教えられてもつまらない(羅列主義は退屈)。

・ そこで教師は文法の「これさえ教えれば全てに共通していく」という“幹”を見つける(知っておく)必要がある。

・ 英文法指導は、なぜそのような形態でそのような意味になるのか、という根本的な原理を教師が分かっておかなくてはならない。根本を知っているのと知らずに教えるとでは大違い。

・ 原理がわかった上で学習と指導を!

・ “幹”さえ生徒がつかめれば、あとはそこから(生徒自身が)広げていくだけ。

・ 詳しくは『英語にとって文法とは何か』(あすなろ社)参照。 (私もまだ読めていません...)


以上

 
 先生がこういうお考えをされているのも、先生は科学史、科学哲学の分野に精通しており、理系の考え方ができるからでしょう。安直な例ですが、数学の公式1つで膨大な数の計算ができます。科学分野にはある公式が全ての元である、という公式があるみたいですし(抽象的な言い方ですみません!)。その考え方を英語教育、ここではその文法指導に応用されているのでしょう。


 今回は「英語授業で最優先に教えることは何か」という質問に対する先生のお答えを紹介するだけに留まります。長くなるので...


 次回も引き続き、寺島先生懇親会で得たことを紹介させていただきます。