寺島隆吉先生を囲んでの懇親会に参加して
3月29日、柳瀬陽介先生が開催した「寺島先生を囲んでの懇親会」に参加してきました。
懇親会の様子としては、参加者は10人程度で、
図書館のグループ閲覧室(1.5h)→大学内カフェ(1h)→大学近くのイタリアンレストラン(2h)→寺島先生宿泊のホテルロビー(1h)でお話をたっぷりお聞きすることが出来ました(最後のロビーでのお話は、私が先生をお送りした際に、先生のご好意で急遽設けて下さったものです、大変感謝しております)。
まずは
寺島隆吉先生のご紹介
1944年7月12日生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学)卒業。英語教育応用記号論研究会(JAASET、略称「記号研」)代表。高校教諭(英語)として在籍。以下、詳細は寺島研究室参照。
著書:『英語教育原論』(明石書籍)、『英語教育が亡びるとき』(明石書店)、『英語にとって文法とは何か』(あすなろ社)、『英語にとって教師とは何か』(あすなろ社)など多数。
訳書:『チョムスキー21世紀の帝国アメリカを語る』など多数。
では以下、懇親会のまとめと感想です。
ここでは、先生の言葉を抜粋して、それを説明する形をとり、短めにまとめるよう努力します。
「大切なのは、本当に必要になったときに役立つ英語力、つまり “幹” を教えることです。」
これは私が「生徒にどういう英語力を最優先としてつけてあげるのですか?その最優先で教える内容を教えて下さい」という質問に答えていただいたものです。
まず私がこの質問をした背景を説明します。
英語教師は大変な状況におかれながら生徒の英語力を伸ばそうと努力しています。
まずは40人学級という状況。海外では外国語学習に関して、20人クラスで「多人数クラス」10人クラスで「少人数クラス」と呼ばれています。それを考慮すると、いかに日本人英語教師1人がみる生徒の数が多いか、おわかりになるでしょう。こんな状況では特にスピーキング、ライティング指導などまともに出来るはずがないです。まあ、やらないといけないんですがね。(苦笑)
次に、言語的距離です。英語と日本語というのはかなり言語的に遠いんですね。ヨーロッパ人が英語を学習するのは、私たち日本人が沖縄弁や東北弁を勉強するようなもの、と似ています。しかし日本語母語話者が英語を学ぶのは、容易なことではありません。文科省のいうような、「ディスカッションを行う」「概要や要点をとらえたりする」、そして「これらはすべて英語で行う」を6年間で達成しろ、というのを真面目に受け止めたらどうなるでしょうか。まあ、やれと言われるんでしょうが。(苦笑)
そして最後に、受験です。今のような激しい競争社会となった日本において、受験というのは生徒にとって最大の課題となっています。また、教師も「私のクラスは○人○○大学に受かりました」「テストの平均点はこれだけとれました」という風に、やはり競争社会で生きています。そのような状況で教師自らが生徒に「これだけはつけてあげたい」「こういうことを子どもたちに伝えたい」という思いをどう達成するのでしょか。
上の3点に加え、校務分掌、部活指導、生徒の服装指導。(寺島先生著『英語教育が滅びるとき』参照)そのような状況において、そして泣き言など言っていられん立場を踏まえて、生徒に英語力としてどのようなことを最優先に教えるべきか、寺島先生のお考えを尋ねたのが上記の質問です。
その質問に対する寺島先生のご解答が「大切なのは、本当に必要になったときに役立つ英語力、つまり “幹” を教えることです。」でした。以下に、英文法指導に限定して、その要点を述べます。
・ 英文法を並べられて覚えることができるのは、大学受験で英語を必須とする生徒、忍耐力がある生徒、英語が大好きな生徒。しかし並列的に文法を教えられてもつまらない(羅列主義は退屈)。
・ そこで教師は文法の「これさえ教えれば全てに共通していく」という“幹”を見つける(知っておく)必要がある。
・ 英文法指導は、なぜそのような形態でそのような意味になるのか、という根本的な原理を教師が分かっておかなくてはならない。根本を知っているのと知らずに教えるとでは大違い。
・ 原理がわかった上で学習と指導を!
・ “幹”さえ生徒がつかめれば、あとはそこから(生徒自身が)広げていくだけ。
・ 詳しくは『英語にとって文法とは何か』(あすなろ社)参照。 (私もまだ読めていません...)
以上
先生がこういうお考えをされているのも、先生は科学史、科学哲学の分野に精通しており、理系の考え方ができるからでしょう。安直な例ですが、数学の公式1つで膨大な数の計算ができます。科学分野にはある公式が全ての元である、という公式があるみたいですし(抽象的な言い方ですみません!)。その考え方を英語教育、ここではその文法指導に応用されているのでしょう。
今回は「英語授業で最優先に教えることは何か」という質問に対する先生のお答えを紹介するだけに留まります。長くなるので...
次回も引き続き、寺島先生懇親会で得たことを紹介させていただきます。


非常に興味深い内容だと感じました。
返信削除今回の記事は、現場の問題と密に関係しているため、特にイメージしやすく、非常に貴重な経験をされたことと思います。私も参加できなかったことを大変後悔しております。
現場の教員には、専門教科に関する知識を教授する他に、様々な仕事があり、そちらに多大な時間と労力が割かれることが想定されます。また、学校経営上の問題から、教室での人数や設備も十分でないことも考慮せねばならず、本来高等教育での主たる「授業」の運営が困難であることは、世間に伝えきれていない、現場の声なのかもしれない、と考えています。(現場に出ていないので、想像上でしか無いのですが。)
そのような多忙な教員が授業の中で行うべきことは何なのか、私も日々、考えておりました。今回の寺島先生の「英語の幹」という発想は、大変共感できる所で、早速『英語にとって文法とは何か』を手にとって確認したいと考え、購入しました。40人学級で、全員の学びを完全にサポートすることは非常に困難なことだと思われます。このブログで書かれている通り、まずは生徒の中に英語という言語の幹を根付かせることは必至かと思われます。
実は私が塾で生徒に指導する際も、「(少々の例外を除く)全ての英文に通用するルールを示す」という考えは非常に意識しております。例えば、英語が苦手な生徒は英語独特の語順が定着しておらず、(特に長い文章になれば顕著ですが)主語と述語の捉え方でつまづいている場合が多かったり、後置修飾の感覚が根付いておらず修飾を追っていく途中に文を見失ってしまうという特徴と多々出くわします。私の中では語順と後置修飾が英語の幹であり、とにかくこの2点を塾の授業の中で生徒に叩きこんでおります。大体の文章に当てはまるルール、と言い換えることも出来ると思います。
この私の発想、経験は寺島先生のおっしゃっていることと一致しているか、非常に気になるところがありますので、このブログの記事を機会に、私の方でもまとめさせていただこうと思います。